2009年04月07日
3月24日「世界結核デー」
これは、どんな場合にでも通じる。
とかく病気は死につながる印象も強く深い。
"うつるんじゃないか"
"もし病気になったら、感染したらどんな顔でいればいいんだろう"
"どう生きて行ったらいいんだろう"
そんな気持ちから自分からも自分以外の他人からも迫害や差別を感じるのは常。
病気は誰もがなるものだ。
どうして病気になったという経過ではなく、
治療法があれば治るように努力すればいいし、
治療法が見つからないなら、うまく付き合って行けばいい。
むやみやたらに怖がって情報を流したり非難するようなことは、
口にする前、何かに表す前に考える必要がある。
もし、それが話題づくりなら言語道断だ。

上の画像にあるリボンは、「HIVやエイズについて知って考えて共にあろう」
そういう、人の人に対する気持ちの象徴だ。
どうするかは自由という考えもあるけれど、
いざ当事者になったときに、
どう感じられるかも自由なんだということなのかもしれないっすね。
俺は、もし病気になったり死を目の前にしている人がいるなら、ツライ思いをさせたくない。
非難する必要も責めることも要らない。
みんな、自分がツライ目や怖い目に遭いたくないだけなんだよ。
「知って、少しだけ理解して、そして、慣れてほしい」
大丈夫だよ、病気なんてそんなもの
ツライ目に遭ってきた、遭っている人たちを間近にしている俺から伝えたい。
Posted by ktaro Enzo at 13:44│Comments(0)
│考える、語る
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